hitoriの卵焼き

砂糖味、塩味、しょうゆ味、不思議な味。あなたはどれが好きかな。

第20話 芸術的なんですよ


蜘蛛の話~~。
巣を見つけては、箒で取っ払ってますが、次の日にはもう新しい巣ができてる。
なんで?

おいおい、えらく活動的じゃないか。
行動力バツグン。
めげない根性だ。
見直したぜ。

考えれば考えるほど、素晴らしい精神力だわ。

私が子どものころ、虫取り網なんてなくて、夏の蝉取りには棒を使ってました。
棒の先にハエ取り紙のベタベタを塗り付けてましたが、それは高級品の部類。
多くの子どもたちは、長い竹を持ってきて、先の方を10センチほど二つ割にします。
そこに細い横棒を渡して、三角形を作ります。
そこまでは簡単。
近所を歩き回って、蜘蛛の巣探し。
巣を見つけては、竹の先に作った三角形のところで蜘蛛の糸を集めるんです。
これで蝉を捕まえるんですが、うまくいくんですよね。
ハエ取り紙を使うとベタベタしすぎて、捕まえることはできても、羽根が引っ付いちゃったりします。
でも、蜘蛛の糸は素晴らしい。
そこまでベッタリしてないから、うまくいきます。

材料になる蜘蛛の巣、なくなることがないから便利。
しかし、今は軒先やベランダに居座られてもなぁ。
ああ、殺虫剤がありますね。
でも、家の周りが殺虫剤だらけになりそう。
ムカデ除け、蜘蛛の巣除け、ゴキブリよけ・・・・

 

第19話 垢ぬけた足

 私ね、階段が怖いんです。
 若い時に、住んでいたところの階段、二段下りたところから残りをお尻でドンドンドン!って。
 痛かったのなんのって、大きなアザがお尻にできて歩くこともままならなかった。
 治るのにひと月かかりました。
 それから階段には気を付けていますが、私、おかしな癖があるみたい。
 階段を下りるとき、最後の一段をよく踏み外すんです。
 今考えると、最後の段だけ、大股になってしまうのかな。
 それが、あるとき、疲れていたんだと思います。
 息子が二度の目の手術を終えて、ずっと付き添いもして、やっと退院した翌日の朝。
 ゴミ袋を左手に持って、右手は壁を撫でながら階段をトントントン。
 !? スッテンコロリン、ドテッ!
 「ああ、やっちゃた。痛い」
 足をひねった?
 長男が音に気がついて二階から下りてきました。
 「何しよん」と、ゴミ袋をとって、出してきてくれました。
 私はというと、這うように階段を上り部屋でじっとしていました。
 痛みは覚悟していましたが、左足の甲が腫れあがってきて心配になり、整形外科にいくことにしました。
 「折れてるよ」
 レントゲン写真を見ながらポツリと一言。
 生まれて初めてギプスをつけられました。
 長靴みたいだ。
 幸いにも左足だったので、自分で車を運転することができました。
 ギプスを外すのは三週間後。
 最初はピッチピッチだったギプスも、足の腫れがおさまるとプカプカ。
 二週間もすると、半分くらい足が抜けそうな気がしてきました。
 明後日には外すという日の夜、いつものように面白半分で、ギプスの中で足をパカパカと動かして遊んでいるうちに、「なんか本当に抜けそう」と思いました。
 子どもの歯が抜ける感覚みたい。
 ひょいっと踵に力を入れて足を引っ張ったら、スポッ!
 「ああ、ぬけた~~~~!」
 なんと懐かしい足よ。
 しかし、三週間洗っていないとこうなるのか。
 のり弁のノリをはぎ取ったみたいに薄っすら黒い垢に覆われた我が足。
 さっそく風呂に入ってこする、こする、こすりまくる。
 びっくりするくらい垢が落ちました。
 三週間ぶりの湯舟は嬉しかったですよ。

 そんなこともあって、私は階段を一段ずつ確認しながら下りるのです。

 

第18話  油断をしてはいけません

油断大敵!
「あら、蜂。暖かくなったからね」なんて、油断してはいけないのが田舎生活。
駐車場に置かれたガラクタの付近を飛び交う大きな蜂。
なんかこの辺りに多いわね。
覗くと、大きなスズメバチの巣!
急ぎスーパーに走って、蜂専用殺虫剤を買う。
長い棒で叩き落として殺虫剤をまき散らした。

夕方、息子に「スズメバチの巣があった」と話すと・・・
「そやで」
おいおい、知ってたんかい!
なぜ早く教えないんだ。

それからというもの、駐車場付近には注意を払った。
翌年の春、スズメバチが飛び交う。
見つけるたびに追い払っていたのだが、「なんかこの辺りに多いな」と風呂場の換気扇フードを覗くと・・・
ぎゃ!!!
またもや大きな巣。

そのまた翌年、蜂は飛んでいないなと安心していたら、台所の換気扇フードの下に何かある。
「あの藁みたいなかたまりは何?」
そういえば、あまり換気扇を使ってなかったなぁ。
箒を持ってきて、掃き落とすと、なんと鳥の巣。
ああ、ツバメなら許すんだけどなぁ。

田舎生活は油断は禁物なのです。

 

第17話  毎日はリメイク


 今日は昨日のリピートではない。
 毎日、同じようで少しずつ変わっていく。
 一番わかりやすいのは、山や田畑、野原の様子。
 リピートじゃなくて少し違うリメイク。

 田舎で暮らすと、景色は絵画のスライドショーです。
 写真で保存すれば一目瞭然。

 毎日の生活だって、長い目で見れば、人が増えたり減ったり、家具が変わったりと変化しています。
 そこには必ず心があって、同じように変化しているはず。
 子どもが小さい時には見えていた変化が、誰もいなくなると時間が止まったように感じるけれど、外に出かければ時の流れを取り戻すことができます。
 街中でも、いつもとは違うおもしろいものを見つける楽しみがあれば、宝探し気分。
 外に出かけることで活力がわいてきます。ですが、人混みは落ち着かないかな。なので、外出はめったにしません。バスが一時間に一本という理由をこじつけたい。
 食料の買い出しは月に1、2度のまとめ買い。
 
 生活の変化より、自然の変化を感じ取るほうが、ゆったりできますよね。

生もの 取り扱い注意

 感情は生もの。私はそう思います。
 昨日、その時に思いついたこと、気持ちを書こうとしたのだけれど、どこに書こうか、どんなふうに書こうかを考えているうちに、一晩過ぎてしまいました。すると、感情がしぼんでしまっているんです。ほんと生ものだなぁって実感しました。
 朝になっていざ書こうとしても、冷めた文章になってしまう。ただの感情だけなら、気持ちが淘汰されて良い面もあります。論文なども時間をかけたほうがうまく出来上がります。しかし、感情を高めて文字に起すとなると、私の弱点である感情の起伏の少なさが裏目にでるのです。

 はて、昨日、私は何を言いたかったのか。
 一つは、私は公募が嫌いだということ。愛情を込めて作り上げた作品の著作権が取られてしまうからです。まるで娘を嫁に出したような気分。心の中にぽっかりとできた穴、嫌でした。
 公募の選考方法にも疑問を感じました。出版社関係なら、売れるかどうかが判断基準。地方になると、中身より外面という印象を受けました。

 イラストを描く息子が言っていることがあります。「公募に出す作品はレベルを下げたものにしている」。聞くところによると、何度も盗作された経験があるそうです。

 私は作品を書くとき、いくらかの不安や恐怖ともとれる感情を覚えます。私は話の中で、悪人を書くことが大の苦手。だから、最初、童話を書いていました。十年かけてようやく悪者が描けるようになりました。それでも、迫力の足りないものだと思えます。小説を書くには、そこに登場させる人物を愛さなければならない。たとえ悪人でも、なぜ悪人になったかを考え、愛する。そこまではできるのに、台詞や行動がわからないんです。映画でも見ればなんて考えますが、汚い言葉、激しい暴力が嫌いなので、見ることが苦痛です。

 そんな私が楽に書き続けることができるのが、「hitori言」。ポロポロとこぼれる言葉、まるで落穂ひろい。これも、思いついたとき、すぐに書き留めておかないと言葉が腐ってしまうんです。不思議ですよね。
 
 あと何を書こうとしてたんだっけ?思い出せない。続きはまた今度にします。

いかづちのような言葉

 弓も獲物に焦点をあて、射る。雷と似ている。違うところがあるとすれば、弓は敵に見つからないように射る。雷は眩い光と轟音を引き連れ、一点をめがけて落ちる。そこに密かという言葉はないのです。
 大切なのは、どちらも的は一つ。恋の相手なら弓で十分。
 相手を励ましたいとか、多くの人にも知ってもらいたいと感じるなら、いかづちがぴったり。それは、害を与える側へではなく、受ける側へのものです。これだけ多くの人がいれば、必ず人の感情を考えずに行動する人はいます。減ることはありません。騒ぐ場所を移動してしまうだけです。

 ゲームサーバーに出入りしているとよく見かけることなんです。
 批判は相手の人格を攻撃することなく、方法などを意見するだけ。しかし、多くの場合、人格を否定する誹謗中傷をしています。その人たちの「怒り」の感情は、自己防衛によるものがほとんどです。負けそうだからです。
 ゲームでトップクラスの人への嫌がらせなどはみません。明らかに差があるからです。ところが、あまり変わらない強さだと、足を引っ張るのです。陰口、なりすまし、嘘の情報流し。これらは、自分と変わらない強さの相手を狙います。
 しかし、彼らは大切なことを見落としています。ゲームサーバーでは多くの人が見ていることです。グループを作って行動すれば、敵なしと思っているようですが、品格が疑われることを忘れています。若いからとか、理由になりません。品格は一生かけて学ぶもの。いつまでもスタートラインに立ったままです。

 さて、小説投稿サイトでも、嫌がらせってあるんですね。初めて知りました。
 嫌がらせをするということは、受ける側の技量を認めたということです。そういったことは、下から上に対して起こることです。相手にしていると、自分が伸び悩みます。ただ自分に今できることをコツコツ続けることです。結果はいずれついてきます。

 私がこういった言葉を書くことができるのは、多くの啓発本やエッセイを読みあさっているからです。すべての人に合う言葉などありません。経験していることが違うからです。受け入れることができない言葉は、自分がまだまだなんだなって思えばいいことです。それがR指定の狂気の意味です。

 今回は一人の方のために書きました。心に届くといいなと思います。
 ではまた、機会がありましたら、お会いしましょう。

周りなんてきにしない、それが才能よ

 好きなこと、ダメって言われてもやっちゃう。
 結果なんて気にもせずに続ける。

 「結果が出ないから自分には才能なんてないんじゃないか」。そういうふうに考える人もいるけど、すぐに辞めることができるものは天職じゃない。
 好きで好きでやめられない、暇さえあればやっている、忙しくても夜遅くまでやっている。それがその人の天職であって、才能はどんなことがあっても続けられる力のこと。

 続けていると、いつか爆発する。誰も見ていないと思っても、必ず世の中に出る。出る杭は打たれるけれど、出過ぎた杭は誰も叩くことができない。だって、それほど長く放置されたように、気づかれなかったからね。

 好きなことなら、人の評価なんてどうでもいい。自己満足と言われてもかまわない。芸術家とはそういうものです。もっと上手くなりたい欲望が必ずあるから、目に見えない進歩があって、周りが気がついたときは、もう誰も追いつけない。

 やりたい好きなことは、目的を持っている。自己表現であり、必ず楽しい作品になっている。なぜなら、本人が楽しんでいるから。その楽しさが作品にふれる人に伝わり、周りを明るくしていく。それが目的。

 目的のために、目標が生まれ、作品を一つ、また一つと完成させていく。終わりのない作業だけど、辞めない。それが才能であって、その人が見つけたいきがいになる。

 私はそう感じてます。