hitoriの卵焼き

砂糖味、塩味、しょうゆ味、不思議な味。あなたはどれが好きかな。

九十六日目  ロマン・ロラン   恋は決闘なのよ。

九十六日目  ロマン・ロラン

 

    恋は決闘である。
    もし右を見たり、
    左を見たりしていたら敗北である。


  狙いを定めたら、よそ見してはいけないのよ。
  そうすれば必ず勝つ。
  その勝つという気持ちがないなら、やめておきなさい。

  決闘は命がけ。
  恋も同じ。お遊びは恋じゃない。

  相手が本気かどうかも、これでわかるはず。
  よそ見しているかどうか。


  恋をすると人は変わる。
  強くもなるし、反対に自分の弱さを見せつけられることもある。

 

    ひとつの生涯には多くの日々が含まれている。
    そしてひとりの人間にも
    幾人ものちがった人間がいる。


  自分の中に いくつもの顔があることも知ってしまうもの。
  誰でもそうなのよ。
  負けん気の強い女が、
  好きな男の前では何も言えなくなる。
  突っ張ってた男が、彼女の前では
  飼いならされたライオンになってしまう。


    苦しみは無限で あらゆる形をとる


  人生にはいろんな出会いがあり、戦いがある。
  しかし、それから逃げても何も変わらない。
  同じ壁は道をふさぎ続けるもの。
  それは、自分に乗り越える勇気がないから。

  笑われても恥をかいても、
  前に進むしかないんだよ。
  その経験はみんなに訪れるもの。
  例外なんてない。


    さあ立ち上がりたまえ、
    どんな戦いの中でも
    必ず勝つ確固たる勇気をもって。


  すべての出来事を人生の糧にしよう。
  愛することを学ぶために。
  

    愛はそれが自己犠牲であるときのほかは、
    愛の名に値しない。


  恋愛はよい経験になるよ。
  恋に敗れた人は悲しいけど、
  人生で失恋を経験しない人はもっと悲しい。

  豊かな人生を楽しみましょう。

 


  

 

九十五日目 ヘレン・ケラー  人は人、自分は自分よ

 九十五日目 ヘレン・ケラー


   世界は苦しいことでいっぱいだけれども、
   それに打ち勝つことでもあふれている。


  ヘレン・ケラーがこの言葉を発すると、
  人々の心により一層ひびきわたる
  そう感じるのは私だけではないでしょう。

 

   幸せの一つの扉が閉じると、別の扉が開く。
   しかし、私たちは、閉ざされた扉を
   いつまでも見ているために、
   せっかく開かれた扉が目に入らないことが多いのです。


  自分が抱えた問題ばかりを気にしすぎて、
  大切なことが見えないことは、よくあることです。

  本当に自分にできることは、これだけなのか?
  工夫できることはないのか?
  新しい情報があるかもしれない。
  研究者や発明家は考え続けるのです。
  新たな扉を求めて、探し続けるのです。
  それは、ほとんどが自分のためにではなく、
  人々のため、社会のため、人類のためです。
  だからこそ、諦めない。

 

   “喜びは、自分を忘れることにあるのだ”と。
   だから私は、人の目に入る光をわが太陽とし、
   人の耳に聞こえる音楽を私の華麗なシンフォニーにしよう。
   人の唇から漏れる微笑みを、、
   自分の幸せと感じられる人間に私はなりたい。


  自分の不幸に浸っていても、
  悦びは生まれません。
  新しい物の見方、価値観の創造が求められます。
   

 

   人生の目的とは何か、
   などと堅苦しく考える必要はない。
   楽しく生きて、
   この世を去る時に
   「生まれてきてよかった。
   幸福な人生だった」と
   振り返ることができたら、
   その人は人生を楽天主義者として
   過ごせた成功者だといえる。

 

  ほんと、生まれてきて良かったと思えることほど、幸せなことはないです。
  嫌なことだって、たくさんあるけど、
  それが生きている証拠なんです。


   頂上への楽な道などない。
   それなら自分なりに ジグザグに登ればいい。


  自分が置かれた場所で、
  自分が作り上げた道を歩めばいいのです。
  難しく考えないで、肩の力を抜きませんか。
  誰も人を責めることなどできないのです。
  私も、あなたも。
  愛されるべき人間であり、
  何より、自分が大好きです。

  この気持ちは永遠に変わらない。

 

九十四日目  夏目漱石  同じ言葉が人によって変わる

 九十四日目  夏目漱石

 

    呑気と見える人々も、
    心の底を叩いて見ると、
    どこか悲しい音がする。


  何事もなく、すんなりと人生を送ることのできる人はいない。
  家族がいて、学校や会社といった
  社会との関わりの中で生きていく。
  楽しいことばかりではないもの。


    鋳型に入れたような悪人は
    世の中にあるはずがありませんよ。
    平生はみんな善人なんです。
    少なくともみんな普通の人間なんです。
    それが、いざという間際に、
    急に悪人に変るんだから
    恐ろしいのです。


  嫌なことも経験しなくてはならない。
  悲しいこともある。
  逃げなければならないこと、
  勇気をもって、立ち向かわなければならないこと、
  涙とともに忍ばねばならないことだってある。

 

    自分に誠実でないものは、
    決して他人に誠実でありえない。


  自分だけはいつも誠実でありたい。
  誰もがそう望みながら、
  その難しさを感じている。

  それは、誰も見ていないときに、
  その確かさが示されるものだから。

 

    ある人は十銭をもって 一円の十分の一と解釈する。
    ある人は十銭をもって 一銭の十倍と解釈する。
    同じ言葉が人によって高くも低くもなる。


  物事を測る自分だけの「ものさし」を
  その価値を揺らすことなく、
  磨きき続けたいものです。

 

  社会の常識、それは時代とともに流れるもの。
  いつの世でも変わることのない
  天道のように、自分を見つめたいですね。

 

    

 

 

 

 

九十三日目 アルフレッド・アドラー   心の羅針盤、気にかけてますか。

 九十三日目 アルフレッド・アドラー


    自由とは
    他者から嫌われることである。


  人って、嫌われることを 
  いつも心のどこかで気にしている。

  結婚すれば、妻のこと、旦那のこと
  嫌われないかなって、気にしてる。

  結婚する前にはあった自由に、
  結婚という箍(たが)がかけられ、
  それは、相手に嫌われないようにというベールになる。

 

    苦しみから抜け出す方法は、
    たった一つ。
    他の人を喜ばすことだ。
    「自分に何ができるか」を考え、
    それを実行すればよい。

 

  その不自由さから逃げるためにも、
  相手を喜ばせようとする。

  食事のメニューも
  自分が食べたいものではなく、
  相手が食べたいもの、
  相手の体に良いものを選ぶ。

  子どもが生まれると、
  喜ばせる相手が、子どもに変わる。

  喜ばせる対象から外れた人に対しては、
  その人の悪いところがよく見えるようになってしまう。

  結婚が「忍耐」だと言われるのはそのため。


    大切なのは
    なにが与えられているかではなく、
    えられたものを どう使うかである。


  生きていく環境は絶えず変わっていくもの。
  大切なことを見失うことがないようにしたい。


  自分の心がどこにあるのか、
  関わる人たちのことを、どれほど理解しようとしているのか。
  どこまで許せるのか、
  何が自由なのか。


  心の羅針盤、動かしておきましょう。

 


 

九十二日目  相田みつを   「のらりくらり」ではない、「成り行き」

 九十二日目  相田みつを


    雨の日には雨の中を
    風の日には風の中を


  朝からの雨、
  どこに逃げても雨。
  なら、逃げないで、雨を楽しめばいい。
  「けっこうな おしめりだ」と感じて。

 

    そのうち
    そのうち
    べんかいしながら日がくれる


  よくある、「そのうち」
  先延ばしばかりでは、前には進まないよ。

  掃除、明日にしよう、
  次の日も、明日にしよう。
  で、結果はゴミだらけ、よごれだらけの部屋。


    背のびする自分
    卑下する自分
    どっちもいやだけど
    どっちも自分

 

  人にかっこよく見られたいけど、
  うまくいかないものです。
  だからといって、
  何もできない自分でもないんだから。

 


    他人のものさし
    自分のものさし
    それぞれ寸法がちがうんだな


  一人ひとりの ものさし
  認め合えばうまくいく。
  一方的に自分のだけを押し付けてもダメ、
  相手から押し付けられても困る。

 

    セトモノとセトモノとぶつかりっこすると
    すぐこわれちゃう
    どっちかがやわらかければだいじょうぶ
    やわらかいこころを持ちましょう


  一番難しい、やわらかい心。
  年とともに、世間に流されて
  頭が固くなっている自分。

  いつも、自分の弱さ、ダメさから
  目をそらさないように生きていたいね。

 

  
  今日はうまくまとまった話になりました。

 

 

九十一日目  エイブラハム・リンカーン   未来は一日ずつのかやってこない

 九十一日目  エイブラハム・リンカーン

 

    大抵の人々は
    自分で決心したぶんだけ幸せになれる


  すべては自分が決めたようになるんだね。
  不安を感じていたら、心配していたことが起こる。
  引き寄せてしまうから、
  イメージするなら、楽しんでいる自分にしよう。

 

    未来の一番いいところは、
    一度に一日しかやってこないことだ。


  あせらなくてもいい。
  なぜって、誰にも同じように時間が過ぎていくから。
  時間に不公平はないもの。
  人間が作ったものではないから、平等。


    そのことはできる、
    それをやる、 と決断せよ。
    それから その方法を見つけるのだ。


  やりたいけど自信がないな、なんて思ったら、
  まず、「やる」と決める。
  それが一番だよ。

  もし、その機会がなかったら、
  一生の間にそのことに触れることもないかもしれない。
  いい経験にもなるよ。

  失敗なんて誰にでもあること、心配ないよ。

 

    木を切り倒すのに
    六時間与えられたら、
    私は最初の四時間を
    斧を研ぐのに費やす。


  何事も準備を怠らないことは良い習慣。
  それに、楽しい時間にもなるから。


  一日一日を大切にね。

 

九十日目  アラン  楽しく過ごす習慣

 九十日目  アラン

 

   習慣はわれわれの偶像であって、
   われわれが服従するから強いのである。


  一度習慣にしてしまうと、勉強も読書も
  楽に続けられる。
  テレビを見る習慣は努力なしで身に着くけれど、
  その習慣を壊すには、かなりの努力が必要になってしまう。
  奪われる時間と新たに作ろうとする習慣の価値を比べて欲しい。
  そこには自分の感情をコントロールすることが求められる。

 


   悲観主義は感情で、
   楽観主義は意志の力による。


  感情をコントロールなんて、難しく聞こえるけど、
  普段から、少し冷めた目で自分を見る、
  これならできそうですよ。
  そこに、自分が何を感じているかを見極めるんです。

  感情に流されるから、悲観的になってしまうけど、
  意志の力で、問題点や解決方法を考える。


   いちばん賢い人がいちばん自分にだまされやすい。
   自らの達者な弁舌には筋が通っているし、
   分別あるものに思えるからである。


  自分が周りより少し賢かったりすると、
  自分の弱さが見つけにくい。
  自分の隠れた気持ちさえわからなくて、
  憂鬱になって、初めて気がつくこともある。
  憂鬱の原因が何かさえ、そこから離れて初めてわかる。
  
  自分の弱さを認め、それにあった生き方をするようにしたいね。

 


   あきらめは盲目的な確信、
   そして固い信念につながり、
   そうして柔軟さをいっさいはねつけてしまう。

 


  悲観的になることが習慣となり、
  自分はこういう性格なのだと決めつけていませんか。
  心が固くなってしまってますよ。

  心を柔らかくなんて言ってもわかりにくいかもしれない。
  何も求めず、そのまますべてを受け入れること、
  認めることです。

  弱い自分、ダメな自分を許すと、
  周りのことも許せるようになります。

  自分が持っている基準は、
  自分が作り上げたものさし。
  そう、勝手に作り上げたもの。

  社会の常識も同じ。
  人が作り上げたもの。
  
  だから合わないことも多い。
  人はそれぞれに良心というものがあるから、
  それに従えばいいし、
  両親を鋭敏にしておくようにすればよいこと。

  楽に生きていこうよ。