hitoriの卵焼き

砂糖味、塩味、しょうゆ味、不思議な味。あなたはどれが好きかな。

二十日目 高木ブー

 二十日目 高木ブー


  一言ぐらいしかセリフがなくても、
  僕がステージの隅っこにいることにも、
  それなりに意味はある。


  これこれ、好きだなぁ。

  カミナリ様の時は、しゃべりまくりでしたよね。
  素敵な存在でした。

 

  映画でも、わき役がいなければ、作品は成り立たない。

 

  もしも、こんな芝居小屋があったらどうだろう。

  そこにいる人は、役者ばかりで、
  誰もが、「主役は俺だ」とわめいている。
  客席を温める人は存在しない。

 

  舞台には、道具さえ置かれてないし、
  幕も開いたまま。
  小屋の隅々はゴミがたまっている。
  トイレの臭いが、廊下に漂う。

 

  チケット売り場に、一人の男が顔を出す。
  「一人3000円です」
  売り子がそう言うと、
  「違うんだ。見に来たんじゃなくて、舞台に立ちたいんだ」。


  
  そう、ここは、役者しかこない芝居小屋。
  しかも、主役しかしたがらない。

 

  まとまりのない芝居、
  汚い舞台と座席。
  客が来ないのも納得できます。


  毎日の生活の中にも、似たようなことを見つけることができる。

 

  もし、ゴミ収集の仕事をする人がいなくなったら、
  家畜を肉にするための処理をするところがなくなったら、
  公園の掃除する人がいなくなったら、
  困ることばかり。

 

  社会生活を支える人がいなければ、
  私たちは、何もできないことに気づかされます。

 

  学校のクラスの中にも、
  誰一人、必要でない人はいない。


  人が存在するのは、
  一人では学べないことがあるから。
  誰かを見て、学ぶことがたくさんあるから。

 

  赤ん坊は何もできないけど、
  家族に笑顔を与えることができます。
  大切な家族として迎えられる。

 

  赤ん坊にも、お母さん、お父さん、お兄ちゃんにも、
  それぞれ、家族のなかで役割があるのではないでしょうか。

 

  高木ブーさんがいないドリフなんて考えられないことでした。
  あなたのいない夕食も、きっと同じですよ。