hitoriの卵焼き

砂糖味、塩味、しょうゆ味、不思議な味。あなたはどれが好きかな。

百三日目  松本人志   笑いは0円で作れる


 百三日目  松本人志

 

    「あの人みたいになりたい」と思うな。
    「あの人みたいになりたくない」と思え。


  憧れの人はいっぱい見つかるはず。
  尊敬できる人もたくさん。
  でも、どこが、どんなふうに素晴らしいのか、
  うまく説明できるかというと難しい。
  それを自分の身につけたいとなれば、
  どうやって身に着けたらいいのかわからないもの。

  しかし、嫌いな人のことならわかりやすい。
  なぜなら、自分にも似たような部分があるから、
  すぐに説明できる。
  人間って、そういう生き物。

  だったら、なりたくない人がどんなだかわかるから、
  どうすればいいかもわかるはず。

 

    視聴率が6%でも
    その6%の人の
    満足度が100%になるよう頑張る。
    それがオレの仕事 誇らしい仕事です。


  見てくれる人を100%満足させる。
  私もお手本にしたいな。
  どうやって研究したらいいんだろう。
  自分だけのオリジナリティな表現。
  それは人に聞くわけにもいかないね。
  感性がそれぞれ違うんだもの、自分で見つけなきゃ。

 

    笑いは0円で作れる。

 

  アイデアにお金はいらない。
  だから、私は物書きしているのです。

 


 

百二日目  サン=テグジュペリ   大切なことは目に見えない

 百二日目  サン=テグジュペリ


    きみは ごちゃ混ぜにしている
    ・・・大事なこともそうでないことも、
    いっしょくたにしている!


  情報が溢れかえる現代社会。
  いつのまにか、その情報に振りまわれてしまいそう。
  不安ばかりを煽るような話、
  便利な道具がなければ生きてゆけない錯覚、
  名ばかりの学歴主義者。


    ものごとはね、
   心で見なくては よく見えない。
   いちばん たいせつなことは、
   目に見えない。

 

  若い女の子たちが、顔を黒く塗りたくっていたのは一昔前。
  みんなと同じでないと不安?
  みんなと違って何が悪い?
  仲間に入ることに何の価値があるんだろうね。
  そこにお互いを築き上げる会話が存在するなら、
  自分が成長できるのなら価値はある。

 

    あんたが、
   あんたのバラの花を

          とてもたいせつに思っているのはね、
   そのバラの花のために、
   ひまつぶししたからだよ。


  ただ長い時間を共に過ごしただけで、
  親友と言えるだろうか?
  中身のない風船は何も生み出さないじゃないか。
  いくら風船を温めても雛は生まれない。


     歩みだけが重要である。
   歩みこそ、持続するものであって、
   目的地ではないからである。


  人間は歩みを止めてはいけない。
  前進しなければ、残るは後退あるのみ。
  時代を遡り、「昔は良かった」が生まれる。


    征服とは、
   おまえの内部に、
   おまえを通して、
   おまえ自身を築きあげることである。

 
  ただ漠然と生きるのではなく、
  自分の成長を見つめ続ける。
  そんな人生でありたいね。

 

    砂漠が美しいのは、
   どこかに井戸をかくしているからだよ・・・。


  知っているのうで、わかっているようで、
  自分の心の未知なる部分は広い。
  いつの時にも新たな可能性が、
  ワクワクする発見が人生の醍醐味。

 

百一日目  宇野千代   千代的 幸福な生き方

 百一日目  宇野千代

 


     私たちは 不幸なことと
     幸福なことを混同して、
     一つの不幸があると、その不幸で
     すべてのことを塗りつぶしてしまいます。
     しかし、その不幸で、
     全人生を塗りつぶして好いでしょうか。


  人の周りには、幸せと不幸せが
  同じ数だけあるものです。
  どちらに焦点を合わせるかは自分次第。

 

     私はこれまでの
     私自身の生活の中で、一度でも
     自分の生活を「人生は一回しかない」と
     思ったことがあるだろうか。
     他人の人生は一回しかないとしても、
     自分自身の人生は何回でもあって、
     何回でもやり直しがきく、
     と思い込んでいた。
     そして実際、私はいつでも
     何回でも人生をやり直した。


  やり直しのできる人って、
  自分を不幸だなんて思っていないの。
  いろんな道があるんだなぁくらいの感覚ね。
  
  こうなっちゃったんだもの仕方ないわ。
  次はどうしたらいいかしら、なんて考える。
  いわゆる前向きな考えで生きているのよ。

 

     幸福は
     自分の心にも反射するが、
     また、多くの
     人々の心にも反射する。


  幸せを感じて生きている人は、
  周りもよく見ている。

  自分がニコニコすると、
  周りもニコニコすることを知っている。

  不機嫌さを顔に出す人は、
  はっきり言えば、自分しか見えていない。

 

     幸福も不幸も、
     ひょっとしたら その人自身が
     作るものではないのか。
     そして、その上に、
     人の心に たちまち伝染するものではないのか。
     とすると、自分にも他人にも
     幸福だけを伝染させて、
     生きていこうと、私は思う。

 

     最も身近な人を幸せにすることは
     最も難しいことであり、
     それ故に最も価値のあることである。


  身近な存在って、意識しないと
  つい当たり前の存在になってしまう。
  何をしてくれても当然、そんなことはないだろうか。
  家族や親友を喜ばせようとしたのは、いつのことですか?
  思い出せないくらい前?


     一歩を踏み出した人間には
     すでに過去は消え、
     目の前には洋々たる道が
     ひらけてくるのです。


  優しさや愛にあふれた人になるために、
  今から、微笑み、話してみてはどうですか。

 

百日目 デイズレイリ  富を分け与えるより大切なもの


百日目 デイズレイリ

 

     自分が無知だと意識すること、
     それが知への第一歩だ。


  誰でも、井の中の蛙になる危険は大いにあるもの。
  自分は何でも知っている。
  ああ、それ、やったことあるわよ。
  
  少しの知識や経験で、満足してしまう。
  世界はいつも、新たな発見を続けているというのに、
  人間は、自己満足の罠に陥りやすい。

  私のその中に入ります。

  ワクワクする言葉や、
  広い世界で自分の知らない知識や、
  人々の智恵に触れると
  自分の無知と人の命の短さ、世界の広さを感じます。


     若者はしくじり、
     大人はあがき、
     老人は後悔とともに生きる

   
  しくじりは、成長の糧、
  あがきは、新たな可能性、
  後悔はしたくないもの。

  一度も失敗しないことは悲しいことです。
  何でもすんなりとできてしまうのは不幸です。


     いかなる教育も
     逆境に及ぶことなし

 

  学校でも教えてくれないもの、
  それは、整えられた道のやり直しではなく、
  逆境を歩くこと。

  自らの手で道を見つけること。
  学校の先生でも知らない道だから
  教えてはくれない。

 

     率直であること、
     これに勝る智恵は ほかにない


  自分の心に率直であり、
  信じることを止めないことが知恵の道。


     あなたが他人にしてやれる最も偉大なことは、
     富を分け与えることではなく、
     その人独自の豊かさを示してやることである。

 

  すべての人間は、それぞれに素晴らしい何かを持っている。
  それに気づかせてあげる手伝いは最高だと思う。

  私のことも誰か褒めてくださいよ。
  気持ちが萎えること、あるんです。

 

 

 

 

九十九日目 見城徹  野望は大きく

九十九日目 見城徹


  
     「今日という日は死から一番遠い」
     という峻厳な事実を胸に刻み、
     今この瞬間を熱狂しながら過ごしたい。


  年齢とともに、この言葉が実感できてきます。
  死は避けがたいものですが、
  怖れるものでもない。
  迎え入れるものだと思いたい。

 

     自分がスラスラと解ける問題は、
     他の人も容易に解ける。
     そこで差はつかない。
     それでは面白くもなんともない。
     薄氷は自分で薄くして踏め、
     ということである。
     そこで生じる負荷が、
     いい仕事の実感なのだ。


  何もしない時間をずっと過ごすよりも、
  楽な生活を選ぶよりも、
  生きている限り、何かを生み出す、
  人の役に立つ、喜ばれることを行なっていきたいものです。

 

     結局、人の心をつかむには、
     努力しかない。
     それも ただの努力ではない。
     自分を痛めるほどのものでないと、
     意味はない。
     この痛みが人の心を動かすのだ。


  棚から牡丹餅はないのです。
  人の心をつかむには、感動を与えるには、
  努力しかないのです。
  自分にないものを見つけ、
  身につける、それしかないのです。
  誰が教えてくれるわけでもなく、
  自ら見つける。
  それは、砂浜で探す小さな落とし物のよう。

 


     ふもとの太った豚になるな
     頂上で凍え死ぬ豹になれ


  生きている間は、チャレンジし続けたいですね。


  hitoriの野望
  スピルバーグ監督に作品の映画を作ってもらおう!

  かなり大きすぎる野望かな。

 

九十八日目 ドストエフスキー    2×2=4にあなたの意志はない

九十八日目 ドストエフスキー

 

     人間には幸福のほかに、
     それと全く同じだけの不幸が
     常に必要である。


  不幸を経験するから、幸福がより一層嬉しく思う。
  それは、毎日、豪華な食事ばかりを食べると
  喜びがうすれていくのと同じ。

  幸せに生きる人は、
  不幸があっても平気で通り過ぎ、
  一つの思い出にしてしまう術を知っている。

 

     今さら日数なんて数えて何になりますか。
     人間が幸福を知り尽くすには、
     一日あれば十分ですよ。

      
  特別な経験をしなくても、
  幸せを感じることはできるもの。

  すべてを当たり前と思わないことが大切。
  朝、太陽がのぼること、
  その陽射しをあびること、
  健康な一日が始められること。

  朝の少しの時間でもこれだけの幸せを感じることができる。

 

     人生の意味より、
     人生そのものを愛せ


  何のために生きるのかとか、
  生きる意義とか、
  難しいことを考えるのは
  学者に任せておけばいい。

  私たちは、ただ生きることを楽しむだけ。


  
     問題が一覧表だの、
     算数だのというところまでいってしまって、
     2×2=4だけが
     幅をきかすようになったら、
     もう自分の意志もくそもないじゃないか。
     2×2はぼくの意志がなくたって
     やはり4だ。
     自分の意志が
     そんなものであってたまるか。

         
  決められたレールの上を走るのではなく、
  自分の好きなように、生きる。
  


     愚かさというのは簡単だし、
     他愛ないけれど、
     知恵は ずるく立ち回って、
     姿を隠すもんだよ。
     知恵は卑怯者だが、
     愚かさは生一本で、
     正直者だからね。

         
  苦しいことにも、悲しいことにも、
  不幸と思えることにも、逃げずに進むことが
  自分を生きることになるのです。

 

 

 

 

九十七日目  レフ・トルストイ   「自分を大切にする」の真実

九十七日目  レフ・トルストイ

 

     人々は愛によって生きているが、
     自分に対する愛は死の始まりである。
     これにひきかえ
     神と万人とに対する愛は
     生の始まりである。


  あなたはとてもお腹がすいていて、
  手元にパンが一つある。
  食べようとした時、飢えて倒れかけた人を見つける。
  あなたはどうするだろうか。

  周りにはほかに人はいない。
  あなたが自分のパンを一人で食べても
  誰も批判などしない。
  今このパンを分け与えたとしても
  相手が助かるかどうかはわからない。
  あなたがパンを食べると
  元気を取り戻し、
  多くの人を手助けする力になるかもしれない。

  こころの中には葛藤が生まれる。

  真実の善は、見ている人がいるいないに左右されないもの。
  善を行なえる時に、それから目をそむければ
  その記憶がいつまでも追いかけてくることになる。
  それは幸せをむしばんでくるのです。

 

     人間にとって最高の幸福は、
     一年の終わりにおける自己を、
     その一年の始めにおける自己よりも、
     遥かに良くなったと感ずることである。


  自分にできることは何か、
  自分が喜びを感じる生き方は、どういうことなのか、
  人間は自分のためだけに生きるのか、
  仲間を支えるために生きるのか、
  見えるものではなく、
  見えないものに目をとめているのか、
  つい忘れてしまいがちな心を絶えず見守りたいもの。
  


     人間は、すべての可能性を
     自分の内に備えている。


  一人でパンを食べて罪悪感を感じるよりも、
  二人でわずかだけど空腹感を満たし、
  喜びを感じる。

 


     思いやりはあらゆる矛盾を解決して、
     人生を美しくし、
     ややこしいものを明瞭に、
     困難なことを容易にする。


  その倒れた人が嫌いな人、民族、敵であっても、
  愛を示すことに障害にはならない。

 

     人間が死んだり、金銭を失ったり、
     家がないとか、財産がないとかいうことが、
     哀れなのではない。
     なぜなら、これらすべてのものは、
     人間にもともと備わっているものではないからだ。
     人間は、自分の本来の財産、最高の財産、
     すなわち「愛するという才能」を失った時が、
     哀れなのである。

 

  「自分を大切にする」ということが叫ばれているけれど、
  その本質を見間違えてはならないと思う。