hitoriの卵焼き

砂糖味、塩味、しょうゆ味、不思議な味。あなたはどれが好きかな。

爪の重さ

爪の重さ


 爪のわずかな重さを感じることがある。
 それは風に飛ばされる小さな羽毛よりは重い。
 
 私はおしゃれにさほどの関心はない。最近は暇つぶしにマニキュアを塗る。そのマニキュアを落とした時、指が軽くなった感じがする。
 こんなわずかな重みを体は敏感に感じ取るんだね。そういえば、爪を切った時も軽くなった感じがわかるよね。
 ネイルサロンでしっかり分厚くマニキュアをした人を見るけど、指がこっているだろうな。疲れているに違いない。
 マニキュアは家事をしていると、すぐに剥げてしまう。だから、剥げないように重ね塗りをする。それが結構重くなるんだよ。ネイルサロンに行かない私でも重く感じるなら、サロンにお世話になっている人は、爪も財布も疲れて、おまけに二時間も潰されるんだね。お疲れ様。

 人間の体の繊細さは爪だけじゃないよ、まぶたも同じ。五十過ぎて、眠そうな顔になる人いるでしょ。まぁ、今は美容整形でなおしているみたいだけど。
 若い時から毎日つけまつげしてたら、まぶたの筋肉のびきっちゃう。まぶたが疲れるんだよ。つけまつげなんて軽いと思っていたら大間違い。まぶたは一日中動いてる。それが長い間に筋肉を伸ばしてしまう。コンタクトレンズもまぶたを疲れさせる。
 腰痛のためのコルセット、一日中つけている生活を続けると、腰の筋肉が衰えてくる。結果的に、腰痛がひどくなってしまう。テレビのコマーシャルなんて、いいことしか言わないんだから、「これいいじゃん」と迂闊に衝動買いなんてしちゃだめ。
 健康にいいからって、サプリだの健康補助の薬だの使っていると、体がそれに慣れてきてしまう。結果、いざ病気となったら病院で処方される薬にも影響がでてしまう。最初から強めの薬を使わないと効かないの。怖いね。
 最近さ、昼のテレビを見ていると、生命保険会社の医療保険と健康食品のコマーシャルばかりなのよ。暇な年寄りが多いのかな。そういえば、去年、駅前のバスターミナルであった女の人、毎日の予定が「十二時からの時代劇、そのあとサスペンス、〇〇〇、〇〇」と決まっているってさ。その時間のターゲットは健康が気になる世代なのね。
 
 重さが変わったことに一番わかりやすいのは髪だね。長い髪をばっさり。軽くなると同時に、髪が浮き上がった感じになる。切った分の髪の重力が消えて、髪が立ったようになる。
美容院を出たときは、しっかりとセットしてくれているからわかんないけど、翌日に髪は爆発ヘア。髪の少ない人は気にしなくていいけれど、人の三倍はあろうかと思える髪を持つ私は、しばらくは歩く大型ウニのようになるのです。

 いなくなって初めてその存在の大きさ、重さを感じるものがある。それは家族。一人でもいなくなると、寂しさを覚える。いつまでも一緒に生活なんてことは珍しいことのようになってきた時代。女の子なら結婚で家を出る。しかし今は自立で家を出る。男も結婚願望がなければ、自立で離れていく。いや、追い出すのだ。男の子は、母親を便利に使う。
 私は家政婦じゃない!とも言えず、かと言ってぬるま湯に浸からせるわけにはいかぬ。いつまでも元気だと思うなよ、今のうちに一人暮らしをしておきなさい。
 話の合う息子がいなくなった時は、火が消えたような生活だった。人と人が互いに磨き合う経験を感じることができる存在だった。私とは違った物の見方を語ってくれる、数少ない存在。もっと話をしておくんだったな。
 
 都会にいると夜中でも明るい。田舎の空とはまったく違う。街灯がなければ、月明りが心地よい。だから蛍がきれいに見える、花火だって最高に美しい。都会のネオンや立ち並ぶ街灯の中で空を見上げても、花火は映えないよね。きっと、UFOが出てもわかんないかもしれない。それは私だけかな。毎日のようにオーブを見ても、光に照らされた落ち葉だと思ってしまうのんびり屋ですから。気がつくまでに数か月かかりました。夜遅くに毎回同じ時間に同じ場所で、同じコースを横切るように落ちる光った落ち葉って変だよね。気がついてからは一度も通らずに回り道をするようにしました。
 一件だけなら家の灯りも夜空の邪魔にならないけど、たくさんの灯りのある街は、遠い山のふもとから見ても、夜の雲まで照らしている。それが都会なんだね。わずかな一粒の雨が河になり、海を喜ばせるように、小さな灯りも都会を作る。
 毎日のなにげない会話が幸せを連れてくるのと同じ。

 爪よ、大切なことを考えさせてくれてありがとう。

どんな風に見えている?

 梅雨の晴れ間で、昼時ともなれば、回転すしは人気だ。一時間待ちになってた。待ち時間の間に買い物をすませ、すし店のロビーにある長椅子に座った。
 以前なら、おじいちゃんおばあちゃんと一緒に来た家族連れが見られたのに、今日は若いグループが多いように見えた。小さな子連れの家族も少ない。あとでわかったことだけど、若い人に人気のアニメとのコラボキャンペーン中らしい。

 「番号〇〇の方いますか?」
 次々と整理券番号が呼ばれ、テーブルに案内されていく。
 向かいに座っていた女性が立ち上がり、案内スタッフのところに歩いているのを見たとき思った。シャッキとしてないなぁ。元気がないように見える。背筋が伸びてないんだね。歩幅も小さいから年寄りの一歩手前のように感じてしまう。でも、それほどの年には見えないのに。

 でも、この姿はよく見かける。背筋がシャッキと伸びた人のほうが珍しいくらい。
 自分はどうなんだろう?
 私は普段から、背筋が伸びるようにと気を配っている。口もへの字のならないように、笑顔で。

 背筋を伸ばしていると自信がわく。胸も張るようにして歩く。自然と歩幅も広くなってくる。気持ちが外へと向いてくるよ。

 人生、とぼとぼ歩くより、同じ歩くなら元気に遠くまで足を伸ばしたいな。そう感じた午後でした。

ムカつくぜ。久しぶりにムカつくぜ。

むかつくぜ!ひさしぶりにむかつくぜ。


 家庭に入った女は、必ず料理しないといけない?
 働いていても夕飯の支度をしないといけない?
 休みの日は、ゆっくりしたいって思っちゃいけない?

 世の中は変わったのに、なぜ家事は女と決めつける人がいるのか。それに私は憤りを感じます。専業主婦なら、家事全般を求めてもいいかもだけど、共働きで要求する?
 料理が好き、得意な人もいれば、苦手な人もいて当然。

 私?私は料理は好き、掃除は苦手。
 ではなぜ、ムカついているのかというと、ライターのバイトで記事を書いたのね。そうしたら、手直しを言ってきたわけ。お料理が下手で、仕事もしているお母さんが、毎日スーパーのお惣菜を買ってくる話の展開だった。そういう家庭って、そんじょそこらにいっぱいあるでしょ。
 結末はやんわりと書いたら、これではビシッとこないって。離婚か料理を覚えなおしてもらうとかにしなさいって。
 今時、料理ができないからって離婚になる?料理は結婚維持の条件みたいなことなんてありえない。古臭い男の偏見としか思えない。

 料理って、楽しいと感じれば、誰にも言われなくても作り始めるものだよ。おいしいと言われれば、また作ろうと思う。
 必要に迫られて、そう人生いいことばかりじゃないから、貧しいときだってあるんだよ。そんなとき、あり合わせで何かを作る。その時、気がつくのよ。いろんな料理の仕方を知らなければ、あり合わせのものでおいしい食事は用意できないって。それで、工夫するようになる。

 私の母親はまったく料理ができなかった。でも、子どもってそんなこと気にしないよ。少なくとも私は平気だった。だって、他所の家がどんな夕食を食べているかなんて聞かないもの。中学生くらいから、材料があれば、自分で料理してた。
 自分の子たちにも、その楽しさを覚えてもらいたい、一人で暮らすようになったとき、困らないようにと思って、早くからナイフや包丁の使い方を教えた。男にも女にも。おかげで、どの子も料理は嫌いではない。むしろ好きなほう。どの子も得意なほうになりました。

 しかし、世の中、料理が苦手という人はいる。それでもいいんじゃない。外食だってあるし、テイクアウト、お惣菜の利用もできる。弁当だって種類豊富。
 作る時間をお金で買っているだけなのよ。そのお金が社会を潤している。今、そういう外食産業や弁当、お惣菜が必要だから、存在してるんじゃない。誰も利用しなければ、なくなってるよ。
 お箸が使えない人もいれば、お裁縫が苦手な人もいる。それでも生きていけるんだよ。無人島で暮らすわけでもないんだから、何もかもできないといけないなんてことないの。
 できないことはその人の個性。きっと、他の人にはできない特技があるはずだよ。幸せなことに、今の若い人たちは、料理ができるできないなんて気にしてない。上手なほうがいいけど、できなくてもかまわないと感じてる。婚活している女性陣よ、未来は明るいぞ!

 

 ムカついたといえば、コンビニのバイトで一緒になるいい年の男。態度が悪いの。あいさつもしないんだよ。
 最初は私を「おばちゃん」なんて呼ぶ。高校生じゃないんだから、相手に敬意は示すべき。介護職の人は、利用する高齢者に対して「〇〇さん」と呼ぶように指導される。これは基本中のキホン。その介護の仕事をする人がどんなに若くても、相手の利用者を「おばあちゃん」とは言わない。敬意を払い、尊厳を保つためです。
 「おばちゃん」のあとは、なんと言ったと思う?

 考えられない、軽蔑したくなる言葉。
 「おい」だよ。
 そんな大切な人間としてのマナー、威張るだけしか考えない男には分からないんだろうね。それパワハラだよ!と言ってやりたかった。しかし、喧嘩をする気にもなれない。アホを相手にしてもねぇ。
 名前があんだよ、「おい」は名前じゃない。いい加減にしろよ。
 
 オーナーに言って、シフトから外してもらった。当然でしょ。二度と顔見たくないもの。
 きっと、こいつ奥さんにも「おい」としか呼ばないんだろうな。最低な男だわ。

 仕事に慣れてないころ、客がいる前で怒ったりしてた。デリカシーのない人だね。指導力なし。もちろん、そういう人だから、嫌みもたらたらでしたよ。
 私はすべてを聞き流す。嫌みは余計なものだから、私が間違っていたポイントだけを拾い出し、仕事を覚える。そうしなければ、精神的に疲れて倒れるよ。

 そういうタイプの人間は権力に弱い。オーナーの前など、上司にはペコペコする。いい人ぶるんだよね。人に嫌がらせをするけど、警察が来るとわかったら、すぐに逃げる。こっちがわめいたり、泣いたりすると行動はエスカレートする。学校でのイジメの構造と同じだよ。
 なぜ、私がそう思うのかというと、警察の人に教えてもらったから。DVから逃げていた時、何度も旦那が押しかけてきた。その都度警察を呼んだ。ある時に来てくれた警官が優しく励ましてくれて、
 「ああいう人たちは、警察が一番嫌いだから、何度でもいいから来たらすぐに警察に電話しなさい。そうしていると来なくなるから」。
 なんと優しい励ましの言葉だ。
その言葉に力をもらい、裁判離婚を得て安心した生活を取り戻すことができた。
 ついでに、DVをする人は、警察が嫌いだけど、裁判所も嫌いです。調停、裁判には一度も顔を出さなかった。
 もう、男とは関わりたくないね。喧嘩できるくらい強くなったら、考えてみるけど。喧嘩は疲れるから嫌い。
 ムカついたら、まずはひと眠りすることだね。朝になれば、冷静になってるから、スルーできるようになる。


 ムカつくまではいかないけれど、何だこいつって思ったことがある。
 二女と服を買いに出かけた時のこと。なるべく明るい色がいいなぁって選んでいたら、
「ここは若い人用。お母さんのはこっち」って、私を隣のコーナーに押しやる娘。渋い色合いと言えば聞こえはいいが、暗い色ばかり。死んだ母に言わせれば、きっとこう言うに違いない。「腐った色」
 私だってそっちにある服を着たいんだよ!なんでばば臭い服を選ばせようとするのか。年より扱いするんじゃねぇ!
 同じ娘でも長女と服を買いに行くとまったく正反対の反応をしてくれる。
 「ああ、かわいいやん。値段も安いし、買えば」と後押ししてくれる。おかげで、春らしい黄色や桜色の服を買うことができる。
 教訓、服を買う時の同伴の娘は選ぶべし。二女は喪服を買う時にはいいかもね。

 

 かなり前の仕事先で一緒だった男にもかなり驚かされた。開いた口が塞がらなかったよ。
自転車で仕事に来るんだけど、こんなこと言うの。
 「雨の降る日は嫌だ。車が多いから信号で止まらないといけない」
 はぁ?雨が降ってなかったら止まらずに信号無視かい!聞いてみると、いつもは信号なんて守らないんだって。でも雨の日は車が多くて、すんなりと走り抜けられないらしい。迷惑な男だ。
 私が住んでいる県の北部の方に行くと、自転車のマナーがいい。中学生も高校生も一列にならんで走る。ところが、南部になると、めちゃくちゃ。横に広がって、友だちと喋りながらノロノロと走る。爺さん婆さんは、道路の真ん中を走る。ながら運転なんてよく見かけるよ。だから信号無視も平気なんだろうね。怖い土地柄だ。
 ある時は、自転車のおっちゃんに睨まれた。「俺の道をふさぐな」と言いたげだ。スーパーから出ようとしていただけなのに、おっちゃん、右側から追い越してきて、左に曲がるんだよ。おいおい、左側が空いてるだろ。あぶねぇじゃんか、左に曲がるなら、右から回らなくてもいいじゃん。そこは警察署の斜め前、おっちゃんは肝が座ってます。関わらないことにしよう。

 田舎にいると、バスが少ないから、車が必要。でも、年取ってからの運転は遠慮したい。しかし、ド田舎なので問題がいっぱい。スーパー、農協、コンビニ(やっと最近できた)郵便局などが歩くと片道三十分。自転車を使うのはいいが、パンク修理してくれるところがない。パンクする度に、車に乗せて自転車屋まで行かないといけない。それが片道二十分。結局車を使わないといけないわけよ。病院なんてもっと遠いんだよ。薬局もだ。本屋なんてないよ。道歩いて出くわすのは、若い女の子ならチカンもでてくるだろうけど、私たちくらいになると、シカ、クマ、イノシシなのよ。そういえば、九州の時はサルも出たわ。
 出前?そんなもんないよ。自炊か弁当を買うしかないけど、弁当買うにも歩いて五分てわけにはいかない。
 田舎暮らしなんて、若くて元気な時だけにしなさいよ。毎日、山の景色見ていたら、ムカつくなんてこと少ないよ。まぁ、いいかで終わっちゃう。ムカつくネタなんて、重箱の隅をつついて、つついて、まだまだつついてみて、ようやく見つかるこののんびりさ。

 ムカついても黙っているって、世間に流されているだけのような気もする。例えば、自分の気持ちを伝えないってことでしょ。勇気がないとしか思えないとも言える。
 暴力がダメだって、誰でもわかっている。それは声をあげて叫ぶことができる。でも戦争だったらどうだろう。国が一丸となって戦え!って風潮の中で反対の声を出せるか。たった一人でも声をあげられるか。非国民と言われ、罵られてもできるのか。
 平和っていうのは、一人ひとりが作るもので、与えられるものじゃない。

 自分の気持ちを正直に言うことができる人は幸せだし、うらやましいよ。勇気があるんだね。勇気のある人は、影で言うより、表で伝えることができる人。ネット社会で問題になる誹謗中傷なんてしないよ。なぜなら、顔を出す勇気があるからなんだね。

 ムカついたら、相手に伝えよう。「怒ってますよ」って。

 

神社だってGIVE&TAKEなのよ

 神社で参拝すれば願いが叶う?
 GIVE&TAKEといっても、お賽銭払ってるよ。

 ちょっと違うような気がする。
 神社の神様と参拝する人の心が繋がっていないとダメなんじゃない?糸電話みたいなもので、繋がっていないと伝わらないのかもよ。
 え? お賽銭で繋がらないの?公衆電話だって十円を入れたら繋がるよ。
 
 GIVE&TAKEは、祈る人の願いと神様の望むことが一致しないとだめ。それは天秤秤にのせたとき、傾かないこと。自分の願いだけで心がいっぱいなら、神様の望むことが理解できない、心にゆとりがない状態。
 神様は一人だけを幸せにすることはないの。神様はみんなの笑顔を望んでいる。神様にお願いするとき、その願いがどんなふうにみんなの笑顔に貢献できるかがポイント。
 神社は派遣会社みたいなものだと思うといいかな。自分はこういうことができます。これで私はみなさんに健康になってもらえるように望んでいます。というように、自分が願っていることが、社会の役にたつように応援して欲しいと願うのです。

 私にできることといえば、今は書くことぐらい。
 「読んでもらえたらいいな」では、神様はスルーします。
 「笑顔になって欲しいな」「生きる元気を感じてもらえたらうれしいな」だったら〇。

 私がいつも祈るのは産土神社。遠くて行くことは難しいけれど、その神社を思い描いてます。とても古くて、宇佐神宮が創建されたころからあり、邪馬台国に関する時代の古文書にも出てくる神社です。いつも守ってくれているような気がして、生きています。

ピーマンと納豆

 少しだけ苦味のあるピーマン、最初は苦手だったけれど、いつのまにか食べられるようになっていた。人参だって平気。
 納豆は、見た目と匂いで敬遠していた。巻きずしと細巻きを製造販売している店でバイトをしていた時、納豆巻きがあまりにも売れるので食べてみた。匂いも気にならないし、おいしい。それからは好きになった。

 子どもにピーマンや人参が苦手が多いのはなぜなんだろう。自分の子には嫌いになって欲しくないな。
 不動産屋で働いていた時、職場の女性がこう言ったの。
 「人参って甘くておいしいね」
 甘い?それまで人参が甘いなんて感じたことがなかった私は、家に帰ってから人参を食べてみた。ほんとだ、甘い。なぜ気がつかなかったんだろう。
 親がおいしいと言えば、子どもは喜んで味を楽しむに違いないと思うのはそういう経験があったから。

 ピーマン編

 息子たちはピーマンを平気で食べていました。息子が小学生のころ、団地のベランダでピーマンを育て実りました。息子はピーマンを一つ採ってきて、竹串にさし、ガスコンロで焼きました。少し黒く焦げたピーマン。一口食べて、「おいしい、苦くない」と感動してました。あら、今まで苦かったのね。
 無農薬、手作りの野菜は苦味がありません。肥料で大きくしたわけでもないので、しっかりとした味わいになりました。スーパーで買う野菜は味がぼやけていると感じました。そういえば、私が子どものころ、もぎたてのナスをそのばでかじったものです。甘くておいしかった。さつまいもだって、生で食べたことあります。スーパーで売っているナスは甘くないし、さつまいもは堅いだけ。ほうれん草も自分で育てると苦味もなく、風味豊かで、肉厚もよいですよ。大根葉なんて、漬物には最高の味。

 人参編

 娘が小さいころ、私の義理の妹が一緒に暮らしてて、食事をともにした。妹は人参が嫌い。大人だから無理に口に運んでいた。
 子どもって、その人が好きで食べているのか、無理に食べているのかがわかるらしい。私と食べるときは、「おいしいね」って言いながら人参を食べるのに、私の妹と食べるときは残すようになった。結果、娘の残した人参は、妹が食べることになるのです。
 私と食べるときは、残していると、「あら、おいしいのに。ちょうだいね」と言って、私が食べちゃうから、娘は急いで食べます。

 納豆編

 うちの子たちは全員納豆が食べられます。六歳くらいまではそうでした。大きくなってくると、食べ物の好みができて、末息子はネバネバしたものが苦手になってきました。納豆、長いも、オクラ。食べろといわれると食べますが、苦手です。長いもはすりおろすとダメですが、スライスは食べるようです。

 ニガウリ編

 私は大の苦味嫌い。子どもたちは平気で、ニガウリが好き。苦味を取り除く工夫をしてもいつも失敗。でも子どもたちは苦くないよと言って食べる。「この間より苦くないよ」。私は頑張って食べても、二口も食べられない。沖縄出身の人にも教わったけれど、やっぱり苦い。
 よし!今年も挑戦するぞ。三口食べられるように。
 食べられることは幸せです。大好きな納豆、アレルギーで食べられなくなって、夏においしいゼリーもだめになって、毎回、買い物では成分表示とにらめっこしてます。
 

犯人はお前か

犯人はお前か!

「はじめに」
 牛乳がだめなんて話はよく耳にします。しかし、それ以外は珍しいと思ってました。以前、洗顔せっけんに含まれて小麦でアレルギーが起きた件も稀なことだと思えました。
 アレルギーは自然界で生きるための体の防御反応です。病気にならないようになるのも、同じ免疫反応。食べ物を食べていかなければならない私たちにとって、食物アレルギーに出くわすことは、誰にでもありえることなのです。
 アレルギーの怖さを思い知らされた私の体験です。
1章 肩こりと目の痛み

 身近にいる犯人ほど見つけにくいものです。
 50歳を過ぎてから、なんか肩が痛いんだよね。肩こりなんて久しぶり。人間、肩こりと腰痛からは逃げられないなんて言葉を聞いたことがあるけど、ほんと?
 若いころ、胸が大きくて肩がこってたし、編み物が好きでこってたりもした。便秘でも肩こりや頭痛がでた。
 人間年取るとガタがくるんだよねと自分なりに納得してみる。しかし、肩の痛みは治まらず、その張った感じは首に広がり、三日もするとひどい頭痛を引き連れてきたのだ。
 肩と首が痛いのだから整形外科?病院で待たされるのは嫌だから、大きなとこはやめよう。そこで一番近い整形外科を受診。
 そう言えば、以前にも整形を受診したことがあったな。九州にいたときだよ。肩とか太ももとか痛くなって、整形にいった。暇つぶし感覚で。だいたい一週間もすればなおるんだもの。そこの先生、若くて、開院したばかり。リハビリの設備も整っていて気合十分。
 太ももが痛いんだけど、うまく説明できないし、向こうも聞く気がない様子。
 「湿布を出しておきます。リハビリしますから、通院して」
 結局、膝が痛いということになってしまって、太ももの筋トレです。

 関西に引っ越したので、今回はバス道路沿いにある古い医院。車が3台停められる駐車場がある。4台目のスペースは院長の大きな車が陣取っていて、その奥には自宅へと続く道があった。
 受け付けをすませて、長椅子が三つ並べられた待合室に座ると、数人の患者がいた。これだと待ち時間は少ない。
 二十分もしないうちに名前が呼ばれた。中にいたのは七十くらいの医師。首のレントゲン撮影をした。
 「ここね、4番目と5番目の骨の間が狭くなってるやろ。それで痛みがきてるんや。痛み止めと脳の血流をよくする薬を出しておく」
 首の骨のレントゲン写真を見せられたが、どう狭いのかイマイチわからない。
 窓口で薬の説明をされ、「これが炎症止め、こっちはビタミン剤、そして血流をよくする薬です」と渡された。
 その後、数回痛くなるたびに受診した。骨の間隔が狭くなっていることが原因と信じて。
 医者なんて、その専門以外は詳しくないものです。いい医者になると、持病や既往歴などの問診がしっかりしてます。

 数年後、私はホテルの掃除の仕事をしていた。部屋に入るたびに、ベッドのそばにある灯りが眩しく感じるようになった。翌日には、対向車のライトが目に入ると痛みを感じ、目をそらすことにした。家に帰って目薬をさすと、しみて痛い。
 目薬が古い?いやだ、捨てちゃえ。目は心配だ。肩なんかより、ずっと心配だ。
 眼科を探したけれど、一番近いところは休院中。残るはあそこか。待ち時間長いだろうな。だいたい眼科は患者が多いから覚悟しとかなくちゃ。
 翌日、救急車も受け入れる総合病院の眼科を受診した。担当した医師は50代後半の女医さん。診察室を暗くして目を覗き込む。
 「黒目に潰瘍ができてますね。今までにもあったようですよ。小さい痕がたくさんあります」
 潰瘍?黒目に?なにそれ?胃潰瘍みたいなやつ?しかもたくさんの痕?
 その後の先生の言葉が私をアッパーカット!
 「免疫反応でしょうね」

2章 シンプルな犯人

 免疫反応といえば、なんのことはない、アレルギーなのだ。
 私がそれまでに経験したアレルギーは、鼻炎と牛乳。鼻炎は妊娠と出産の繰り返しのうちに、いつの間にか消えた。どんなにひどい鼻炎でも妊娠すると消えたし、授乳時期が過ぎると再び鼻炎が現れたが、4人も産むと風邪の時以外は鼻水が出なくなった。実際のところ、風邪なんてひく暇がなかった。
 鼻炎のときって、口で息するしかなくて、寝るときだって、口の中がカラッカラ。鼻を拭きすぎて鼻の下がヒリヒリしたり、薬を飲めば一日中ぼーっとしてしまう。結構つらいものです。
 私の対処方法は、お医者さんに教えてもらったもの。早めの薬。あれ?いつもの鼻炎かなと思ったらすぐにアレルギー性鼻炎に効く薬を飲む。するとひどくならずにすむから。

 牛乳は突然に現れた。全身に蕁麻疹がでて、夜だったので救急病院に駆け込んで注射と薬を処方してもらった。たまたま体調が悪かったのかなと気にもしていなかった。それまで蕁麻疹なんて経験したことがなく、お気楽に考えてしまったけど、二回目の蕁麻疹で気が付いた。私は牛乳アレルギーなのだ。
 特に牛乳が好きなわけでもないから問題ないか。それからというもの、牛乳はいっさい口にしていない。

 数年後から、よく背中が痒くなるようになった。背中って手が届かないから気になるんだよね。空気が乾燥してるのかなぁ、その程度に考えて、まごの手でカキカキ。
 そんなこんなで数年が過ぎたころから、夜中に背中が痒くて眠れないことがおき始めた。
 年取って体が痒くなる、皮膚が乾燥して痒いって、こんな感じなの?いやぁ、年はとりたくないね。
 いやはやお気楽に考えてしまう私。
 そのころ、味噌汁を飲むとお通じがよくなることに気がついた。やっぱ味噌汁は健康の元なんだね。
 体のことに気を配り始めた私、毎日何を食べたか寝る前に考えるようになってきた。

 なぜ痒くなるんだろう?牛乳、飲んでないし、乳製品も控えている。
 味噌汁と痒み、なんだろう?
 痒いのは皮膚。皮膚といえば、組織の表面。
 便秘がよくなる。腸の動きがよくなる?違うかも。動きがよくなって便秘が解消されることもあるだろうけど、腸内の表面が背中の痒みみたいな状態になっていたらどうなる?
 もし味噌汁で痒みが出てるとしたら、原料の大豆、全部だめなんじゃない?

 口に入れるものの中で、濃い醤油味や味噌の入ったものと痒みの度合いを調べてみた。考えた通り、まったく食べなかった日は痒くなかった。
 それからというもの、スーパーやコンビニで買い物をするとき、材料などを気にするようになってきた。驚くべきことに、大豆はあらゆる食品に使われている。
 それでもお気楽な私、小麦アレルギーよりいいかな。だって、大好きなうどんが食べられるものね。
 ネットで雑穀味噌と醤油を取り寄せて、痒みがひどい間はそれを使うようにした。今はしてないけど。そのころは、アレルギーとの付き合い方がわからなかったから。ただ、口に入れるものへの不安ばかり。
 春になると、ピースご飯食べたいし、コンビニのレジ横の豆大福は今でも誘惑が大きい。枝豆、おいしいのよね。ああ、温かいご飯と納豆、ごくりをつばを飲んで我慢です。

 ケーキや菓子パンに使われている生クリーム、食べたあとは体がだるくなります。誕生日やクリスマスは息子が気をきかせて、生クリームなしを選んでくれます。感謝。

 アレルギーも10年以上つきあえば、慣れてくるものです。しかし、敵はしぶとい。
 「免疫反応のようですね」の言葉で、私は気がついた。アレルギーって、蕁麻疹とか痒いだけじゃないんだ。ショックで死ぬ人もいる。想像できないけど、怖いものなんだ。
 あれ、待てよ、あの首が痛いのは何だったんだ?目の虹彩の表面に潰瘍ができたりするんだから、軟骨の表面や筋肉の付け根にだって炎症が起きるのかもしれない。

 毎日の料理の味付けや材料に注意しながら生活していたのだが、まだまだ落とし穴が存在した。


3章 かくれんぼ名人

 自分の体を気にするようになって、コンビニで見かけるサプリメントを買うようになった。一応、成分を確認。でも、わからないカタカナが並んでいる。
 一日一粒で必要なビタミン、ミネラルが摂れて、一週間分というのを買った。すぐにその日から摂取。翌日の夕方、なんか右手首が痛い。サプリを三個目を食べた夕方、手首が痛くてたまらなくなって、目をやると、さくらんぼの種くらいの膨らみができてた。
 何これ?もしやと思い、翌日のサプリを摂らずに過ごしてみると、痛みがやわらいだ。サプリの成分表を見ても大豆なんて書いてない。アミノ酸だのロイシンだのと書いてあるだけ。そのアミノ酸は何から作られたものなのか、書いてない。それにサプリメントなら、吸収をよくするための成分も含まれているだろうから、すぐに症状が出たに違いないのだ。
 怖いよ。テレビでもたくさんの健康食品や薬が宣伝されているけど、乳酸菌だのいろんなのが入っていて、それがどの材料からなんてわかりにくい。お気楽な私でも、躊躇してしまう。
 テレビでよく見るグルメ番組や大食い、羨ましい。旅行の楽しみといえば、食べ物があるけど、それも制限される。

 目や首、手首といろんな場所にでてくるアレルギーのおかげで、私は食べ物への警戒心を持つようになった。体になんらかの不調があると、何を食べたのかを考える習慣がついた。しかし、それも記憶頼り。メモはとってない。お気楽なんですよ。
 今年になって、仕事のとき、なぜか膀胱炎に悩ませるようになった。嫌いな相手と組む場合はトイレに駆け込みにくい。こいつとは相性が悪いからかなぁ。ストレスたまるんだよな、なんて思ったくらいで、あまり気にもかけなかった。なぜって、家にいるときは、困ることがないから。
 今月に入ってから、ゆっくりと考えてみた。いつから膀胱炎がでるようになった?毎日じゃない。土曜日が多いような気がする。去年は食べてなくて、最近食べることが多くなったものは?
 
 「グミ」
 しかし、グミにはゼラチンと果汁くらいしか入ってないけど。私には今のところ理解不能
 グミを食べないようにしたら、膀胱炎は治った。

4章 犯人捜しに終わりがない

 アレルギー体質からは逃げられない。ならば、うまく付き合うことです。
 人によって症状は様々。蕁麻疹だけだと思っていた私、油断してました。アナフラキシーショックなんて特別な人だけって思ってしまいますよね。しかしですよ、目にだって出るなんて経験したら、誰でも用心深くなるもんです。

 姿がはっきりと見える敵なら、用心しやすいけれど、成分があまりよくわからない食品もあります。最初は少しずつだから、症状が出ないだけで、ある日突然現れる。

 雑穀味噌を買ったときに添付されていた紙に、同じ物をずっと続けて食べてはいけないと書かれてました。キビ味噌、ヒエ味噌、アワ味噌などと交代しながら使うようにするほうがいいそうです。なぜなら、キビ味噌がおいしいからといって、そればかり使うと、今度はキビのアレルギーがでることがあるから。

 ダイエットで一つの食品ばかりを摂るのも危険。やせるよりも健康が大事。

 私が作る料理は、味付けは塩コショウが多くなりました。煮物は薄味、揚げ物に使うのはキャノーラ油、焼うどんのときは、味付けにだしの素。
 アレルギーだからといっても、食べる物がすべてなくなってしまうわけでもなく、おいしいものはたくさんあります。みんなと同じ物をたべなければいけないという決まりもない。

 困ったことといえば、ホテルでの会食。大豆がだめ、牛乳や乳製品がだめなんて言うと、メニューに頭を悩ませそう。一度、こんなことがありました。みんなはコーンスープで、私だけがお吸い物。みなさん、洋風で、私は焼き魚。これは目立ちすぎます。見かけだけでも、みんなと同じようにして欲しいかな。田舎のホテルだったので、仕方ないと思いました。

 気楽に考えて、心配しないことです。友だちと食事に行って、「なんでみんなと同じもの食べないの?」なんて聞かれたら、嫌いだからでいいし、会食でメニューが違うって言われれば、隠す必要もないから、「アレルギーだ」と答えればいいだけ。

 食物アレルギーについての意識を広げたいですね。安心して、メニューから注文できる嬉しさ、みんなと同じ料理が食べられる幸せ。
 誰だって、アレルギーになる可能性があるのです。食べ物、薬、サプリメントを安心して購入できるようになって欲しいと望んでいます。