hitoriの卵焼き

砂糖味、塩味、しょうゆ味、不思議な味。あなたはどれが好きかな。

卵焼きは何味?

 お弁当に入れるなら塩味、作ってすぐに食べるなら醤油味。
 私はいつもこうです。醤油もほんの少しだけ。刻み葱を入れるとまたまたおいしい。
 餃子の具が残っているときは、オムレツ風になるけどね。

 甘い卵焼きは、私の辞書にはない。見た目に焦げ目がついておいしそうだけど、甘いのは苦手。水を入れて膨らませるのもなし。

 だいたい濃い味は苦手。薄味が好き。甘いのは苦手で、さっぱり味が好き。でも酸っぱい、辛いはだめ。で、何を食べるの?お菓子は?
 塩味のおかき、するめかな。

 子どもが保育園の遠足のときに、家にあったお菓子を持たせたら、園長先生から一言。
 「お母さん、酒のつまみみたいなお菓子はやめてください」
 私はお酒は飲まないのだが。。。

 コンビニやスーパーで売っている卵焼き、添加物が多くて食べられませんよ~。だから手作り。アレルギーは大変だ。外食も悩みます。それでいつも回転すしに落ち着きます。

 お弁当、作らなくなったから、卵焼き作ってないわ。うまく焼けると気合いバッチリで弁当が作れる。そんな毎日だった。
 弁当は、息子たちだけ。娘たちはセルフサービスで作らせてました。なぜ?娘たちは苦情が多いから。どこの家庭も似たようなものだと思うよ。
 息子の弁当は、注文に応じるが、娘は文句が多いので。。。
 
 弁当の中の卵焼きの存在は大きい。色鮮やかに黄色~~~。

断捨離と雨

断捨離の勧めを称える本をよく見かける。
親しみ馴染んだ物を捨てるのは難しい。

 濡れた者は雨を恐れない。
 裸の者は盗賊を恐れない。

 これはロシアのことわざ。

 失う物がないことほど、怖い物なしになれる。
 何かを欲しいなら、何かを手放さなければならない。これもよく聞く話。
 人間、手は二本。新しい物を手に入れたいなら、どちらかの手を空けなければならない。
 断捨離だね。
 物に執着すると失うことへの不安ばかりがつきまとう。

 家族だって同じだ。子離れしないとね。我が子といえ、一人の人間であり、親とは別の考えや生き方を持っている。親のロボットじゃない。レールの上ばかりを歩かせると、親がいなくなってから困るぞ!

 ニートの強みは失うものがないこと。自由な発想ができる。儲けなんて考えないで、皆が楽しめること、便利になることを見つけやすい。まず、目標や着地点ができる。あとは、たどり着くルート探し。ニートは金をかけない。思いもよらない発想で進んでいく。
 実業家たちがニートを怖がるわけだね。損得勘定で二の脚を踏む実業家は太刀打ちできない。安定を好む実業家、失うものなしのニート。失敗さえも楽しむニートが有利。

 仕事って、働き始めると簡単には変えられないもの。慣れた仕事だと安心できる。でも、しがみついたままでいいのかな。そう感じたら勇気を出して、違う仕事をしてみるのもいい経験。たくさんの経験が点のように残り、それがいつか繋がって線を描き始めるよ。


  私がなかなか捨てられない宝物、それは古い五円玉。穴が開いてない。私が小さいころ、よく見かけた硬貨。そのころは、五十円玉も今より大きくて穴なし。懐かしくて捨てられないんだよね。百円札が消え、穴なし硬貨が見られなくなり、五百円玉が現れ、時の流れは早い。一枚だけ残った私の穴なし五円玉。
 ブラウン管テレビが薄型テレビになり、村に数個しか無かった電話が今は携帯できるようになった。特別の日にしか撮ることのなかった写真も白黒から、自然そのものの色を残すことができるように変わったけど、思い出の中の風景はそのまま。穴なし五円玉は、古びた写真のように私の手の中にある。

 捨てられなくなる原因は、その物に思い出を感じるからかもしれないね。衝動買いをした物や百円均一で買った物は手放すことに抵抗がない。でも、もう手に入らない物だったりすると、いつまでも手元に置いていたい気持ちになる。

 古い考えや習慣も離れにくいものの一つ。縁起担ぎなんてものもある。自分の気持ちが落ち着くなら、辞めなくてもいいんじゃないかな。人間の生活習慣は、そのほとんどが医学も科学もまだないころ、自然と共存するために神々を迎え入れ、喜ばせること、災いから身を守るために生まれたものが多い。行儀作法や言葉使いにまで及ぶ習慣まで断捨離する人はいない。世界中どこにでもあるお守りや魔除け、捨てるにはしのびない。それに、人は死への恐怖があるから、簡単にはできない。
 生きるって、いろんなしがらみと共に時間を過ごすことなんだよ。


 生きることは、泥土の中を這いまわっているようなもの。手も足も泥だらけになって、前に進む。そんな中での雨は、体から泥を洗い流してくれる。晴れてばかりなら、泥がいつまでも体についたまま。生まれた時は何もついていないきれいな体が、生きていると泥だらけ。雨は人に輝きを取り戻させてくれる。
 裸で生まれ、裸で死ぬ。ならば、本当に必要なものは、何だろう。人は一人では生きていけない。多くの物があったとしても、人とのつながりがなければ、暗闇と同じ。本当に大切なものを理解できることが断捨離。

黒か白かって、オセロじゃないんだよ

 「もしかしてハーフですか?」
 たまにこう聞かれることがある。私としては嬉しくもなんともないの。目鼻立ちがハッキリしてて、色が黒いからだと思う。
 保育園の保護者の集まりで言われた時はこう言い返した。
 「わかる?インドネシアなのよ」
 「やっぱりそうなんだ」
 相手は疑うことなく信じてしまった。私は笑ってくれるだろうと思ったのに。フィリピンだと言うと、ほとんどの人が信じてしまいそうなので、でもパキスタンと言えば、嘘~となって話がはずまない。そこで中途半端な距離のインドネシアにしたわけ。
 私は、目の細い、笑うとなくなるコケシのような顔が羨ましい。小学生のころ、知らない女の子にこう言われたことがある。
 「ちょっと、そこの目の大きい人」
 失礼な呼び方だよね。


 コンビニでレジをしているとき、つくづく感じることがある。
 みんな色が白いんだよね。日焼けしてないというより、元からの色白みたい。
 白い肌は七難を隠すっていうけれど、ほんと羨ましいな。
 釣り銭を渡すとき、目に飛び込む客の白い手、私の色黒の手とのコントラストは、色黒女の悩みの象徴です。
 色白の男が来たときは、「早く帰れよ」の言葉をゴクリと飲み込んで、「ありがとうございました」に変える。

 まぁ、親が色白じゃないから仕方ないね。春の終わりごろから、すでに日焼けが始まり、冬至のころから少し日焼けがとれ始める。しかし、世の中を見ると、私が白くなり始めるころには、周りは白、しろ、シロ~い肌の人ばかり。
 きっとアフリカに行けば白い美人と言ってくれるかも。いやいや、そんな期待はしないほうがいい。アフリカの人にも負けないくらい日焼けで黒くなるに違いないから。私ならきっと先住民に間違われそうだ。

 メラニン色素製造工場にもいいことはあるんだよ。皮膚がんになりにくい。紫外線から体を守るためのシステム全開なんだよ。嫌だなんて贅沢なこと言っちゃいけない。
 美白、美白なんて言っても、太陽から逃げることはできない。日焼け止めなんて、めちゃくちゃ肌が荒れる。今は、いい商品もありそうだけどね。私は日焼けなんて平気。だけど、色白の人にとっては、やけどみたいに真っ赤になるし、シミやしわにもなる。となると、色黒の私は太陽の恋人だ。


話のネタはワンパターン?

 美容院に行くと、必ず言われる言葉。
 「まつげ長いですね」
 毎回、同じことを言われる。以前住んでいた所は行きつけの美容院があったので、話題はいろいろとあって楽しかった。今は、行きつけがないから、新しい美容室のたびに言われる。チェーン店の美容室で、スタッフが固定でないとこもある。
 私は言いたい。
 「おいおい、毎回同じフレーズしかこない接客パターンなのかい。まるでテープレコーダーだね」
 そう思っていたら来たぞ、新しい言葉。
 「まつげ、エクステしてます?」
 しかし、中身は一緒だ。もう少しひねりなよ。関西だろ。

 そう言えば、中学生のとき、長いまつげをはさみでチョキンって切ったことがあった。そうしたら、幼稚園の子が描いた絵みたいになっちゃった。眼からお日様の光を描くときみたいに、まつげがピッピッて出てる感じ。それをクラスの女の子がしっかり見てて、「まつげ切ってたね」と言われ、恥ずかしかったよ。

 まつげにマッチ棒を乗せたことある?みんな一度はやってるかもね。私の記録は三本。

うちの子は太った娘が好き


 うちの息子たちは、ぽっちゃりした娘が好き。次男なんてこう言うのだ。
 「太っているほうが、目立って探しやすい」
 連れてきた彼女はしっかり肥満だった。

 世の若い女たちよ、無理にやせることはない。太っているほうが好きな男はいるのだ。体形を気にするより、中身を磨け。ダイエットなんて、CMに踊らされてはいけない。太る太らないは、おおいに遺伝子が関係していることを忘れてはいかんよ。男のハゲと同じ。
 食べ過ぎないようにしていればいいんだよ。
 人間の体は繊細。ダイエットして急激に体重を落とすと、体は飢饉だと判断して、防御体制に入り、それがリバウンドという形で現れる。
 太りすぎないようにする一番の方法は、甘い物を控えること。夜に何か食べたくなったら、スルメでも噛んでなよ。

 そう言えば、美容院の人って、「太ってますね」とは言わないよな。女の人が気にすることは言わないんだね。何度か行っている美容院なら、「最近、少し太りました?」くらいはいいそう。お客さんが結婚している人なら、「幸せ太りですか?」で差し障りのないように会話が進められる。結婚すると、女は体形をさほど気にしなくなるものよ。まぁ、服のサイズが変わったときは慌てるだろうけど、それは後の祭りとなる。
 「最近、痩せましたね。どこか具合でも悪いんですか?」なんて言う美容院があったら、親しい間柄なんだね。特に、ご年配の利用者が多い店では、話は健康がらみの話題。若いスタッフでは勤まらないかな。
 
 男の美容師はあまり好きではない。できれば話しかけないで欲しいね。上手にカットできれば、それだけでいいから。話についていけないんだよ。私から話しかけることもないから、無言の作業だ。しげしげと顔も見られたくない。だいだい私は仕事のとき以外で男と話をすることがないし、しても顔を見ない。なぜなら、別れたあと顔が思い出せないから。見てない証拠だ。よし!これからはにらめっこするつもりで顔を見よう。

 ああ、夏が来る。小麦色の肌というより、お好みソースの肌になりそうだ。今年は日焼け止め使ってみるかな。

消防車と焦げたイカ

 以前、団地に住んでいたときのこと。
 ベランダで洗濯物を取り込んでいると、消防車が一台通り過ぎた。
 「あれ、どこか火事?」
 赤色灯が点滅してる。サイレンはないけど、どこだろう。あわてて北側の部屋の窓に行くと、ぎゃ!消防車だ。
 うちは二階。下の部屋の方を見ても煙はない。もしや、上を見る。煙はない。火事じゃないの?
 !? 階段を登ってくる足音だ。
 玄関の覗き窓に顔を近づけると、消防の制服姿の男が一人。向かいのおじいちゃんを訪ねていた。
 耳をそばだてて聞いていると、こんな会話。

 「消えているのはわかっているんだけど、一応、緊急通報システムが作動したから確認ね」

 へぇ、おじいちゃん、そんな装置をつけているんだ。火事にならなくてよかったよ。

 「ああ、こがしちゃってね」

 何か作ってたんだ。
 数分後、トイレに行くと、何この匂い?
 イカの煮物が焦げた匂いだ。ここ団地だから、トイレの通気口がつながってたわ。

 数年後、団地の入り口の前にパトカー。玄関の覗き穴から見ると、お向かいにおまわりさん。

 「一日の新聞は取り込んでいるみたいだから、そのあとですね」

 そういえば、新聞がたまってた。正月だから子どもさんのところにでも出かけたのかなと思ってたけど。。。
 玄関を開けてみると、階段の踊り場に二人ほど、おじいちゃんの知り合いのような人がいた。

 「どうしたんですか」

 正月の間に亡くなったらしい。一人暮らしだったし、知り合いが心配して警察に連絡したみたい。早く見つかってよかった。
 なぜって、長いことわからなかったら、トイレから匂いで気づくなんて嫌じゃない。

 

バランス

 自分のことは過大評価、他人には過小評価。
 これって、おかしいよ。
 
 自分に自信があるだけ。なのに、他人のあら捜しをしている。
 でも、それ勘違いしてるね。自分に自信があると思ってても、実は自分の足りないところがわかってる。見ないふりしているだけ。足りないことが許せないの。それで、他人のあら捜しでごまかしてる。自分は二つ足りないけど、あいつは五つも足りない。俺の勝ちだなんて、みみっちい考え。
 そもそも、自分の欠点を許せる人は、他人の足りないところなんて気にしない。世の中、バランスがとれてます。

 子どもにテストで100点を要求する親もどうかと思うよ。きっと、100点が取れなかった自分が許せないんだね。それを子どもに求めてどうするんだろ。親が勉強しないのに、子どもが勉強するわけがない。親がテレビ見てて、子どもだけが勉強?
 100点は素晴らしいことだけど、それで人生楽しい?
 いつも100点をとる人の気持ち、聞いてみるといいよ。そういう人は、問題が簡単すぎて楽しくない。もっと難しいことにチャレンジしたいと思っている。そう研究者向き。日本の社会では、研究者じゃ生活しにくい。
 天才とも呼ばれそうな人たち、人の欠点なんかに興味を示さない。自分のことわかっているんだよ。自分が得意なこと、不得意なこと。ちっぽけなことで自慢なんてしない。何か聞かれたら、難しい話をかみ砕いて、相手が理解できるようにする。決して相手を過小評価しない。人間の可能性が未知だということを知っているから。

 職場で威張る上司や先輩、いるよね。アホくさくて相手にもできない。「こんなこともできないのか」なんて言うけれど、自分もできなかったことを忘れてしまっている。できる方法を教えればすむことなのに。教えた方法でできなければ、別の方法を考えるのが上の人の仕事だという認識がないの。
 「わかりやすいマニュアル作りなさいよ」と言いたいわ。私は、手順がややこしい仕事は自分でマニュアルを作り携帯するようにしている。

 いつも怒ってばかりだと、怒る効果が薄くなるってわかってる?普段は優しいけれど、年に数回怒る人の効果は絶大なものになる。そういう人は怒らなくても存在感がある。
 私の場合、怒ることをどこかに置き忘れてしまったんだけどね。
 いらつくこと、ないね。この人、こういう人なんだで終わっちゃう。
 

怒りは津波

 怒りは津波のようになる。

 最近、YOU TUBEで古いドラマを見る。昨日からは横溝正史金田一シリーズ。見ていて違和感を感じることがある。怒りの表現だ。日本人って、感情をあらわにしないと思っていたけど、これほど激しくののしり合い、殴り合うものなの?ご近所にあるような家庭で起きることなの?
 今のドラマでは見かけないシーンばかりが気になる。耳をふさぎたくなる怒鳴り合う声。まさに、怒りは津波を連想させるものでした。

 「あなた、怒ることある?」って聞かれたことがあって、「ありますよ、年に1回か2回くらい」と答えたら、「そうだろうね」って。
 いやぁ、家で怒っていたら、六人の子ども育てられなかっただけなんだよね。自分の人生だって思うようにならないのに、子どもの人生の責任なんて持てない。レールを用意なんてゆとりないね。
 「学校やめる」
 「あら、じゃあバイト探しなさい」
 「子どもができた」
 「すぐに籍をいれなさい。今月中にすれば、年末調整でお金が戻ってくるから」
 他の親から見れば、あきれるような会話だ。必ずや大喧嘩になりそうな出来事だけど、私の望み通りに育てる気はないの。きっと子どもは反発するから。自分で選んで、失敗は自分で始末する。嫌な思いを経験すれば、物事も慎重になってくる。親が代わりに後始末すれば、甘えだけが残り、口答えがおまけについてくる。

 私の怒りにはタイムラグがあるのが特徴。その場ではスルーしてしまう。時間がたってから、「あれ、なんかおかしいぞ。私の事バカにしてない?」と感じるのだけど、その時に相手はいない。一晩寝て、つぎの日になると、感情よりも理性が勝つ状態。落ち着いて考え、何がいけないことなのかがはっきりわかるから、相手もしくは上司に直訴。このタイムラグで、私は怒らない人間とみなされるのだ。
 たまに瞬間爆発のこともある。すると、子どもたちは、私の爆発に慣れていない。去年、何年かぶりに、息子に怒ったら、免疫ゼロで翌朝家出した。

 なぜ、こんな性格なんだろう?みんなはすぐに怒るのに、私は鈍い?なんでも許せちゃうお得な性格だと思う。いろんな出来事、いいことも悪いことも、自分の行いの結果だから、怒るということは、相手に対してじゃなく自分に対してするべきものだと思っている。
 騙された。それは、自分の人を見る目がなかったのかな。
 無視された。きっと、相性が合わないだけだよ。話しかけられないぶん、静かに時間をすごせる。
 怒鳴られた。虫の居所が悪いんだよ。何かあったのかも。
 針のむしろに座らされている感じ。ああ、鍛えられるなぁ。これ苦手だったからいい経験だ。嫌になったら、逃げるか。

 ここまでくると天然って言われるよ。
 草木は風が吹けば、逆らうことなく風になびく。私は自分の気持ちに素直なだけ。以前は人の顔色ばかり気にしている部分があった。怒られないように、気を使ってばかり。そうすると相手は付け上がって要求ばかりしてくる。そんな環境から逃げ出してみてわかったことは、気を使いすぎると病気になること。
 もう一つの私の特徴は、自分が好きでたまらないこと。お掃除が苦手で、おしゃれが下手で、食べ物にアレルギーがあって、人の話を聞くのが苦手。ダメ人間だ。それでも自分が好きなの。だから他の人のダメなことが許せちゃう。たいがいのことは、「ああ、この人できないっだ。個性かな」と思って怒る気にもならない。

 怒りやすい人は、物事がうまくいって当然としか考えてない。だから失敗やうまくいかないことになると怒る。私は、成功より失敗が世の中には多いと思っている。
 テストで100点とっても、あまり嬉しくない。なぜって、本に書いてあることだけの問題だから。覚えることだけなら簡単。むしろ、自分でわからないことを調べるほうが楽しい。本も読むだけより、自分だけの世界を作り上げて書くほうが楽しい。料理だってそうでしょ。作ってもらうより、作るほうが楽しい。野菜も買うより、自分で育てて収穫する方が幸せを感じる。
 社会に流されるより、流れを作る人生にしたいな。
 怒りで津波のようにすべてを失う人生にはしたくないね。

 

脱皮する女はきれいさ

脱皮しない蛇は生きていけない。
セミや蝶は脱皮して世界が変わる。飛べるようになるから。

 では人の脱皮はどんなもの?ホラー映画のように、体にできた肌色の衣を脱ぐ?体が大きくなるわけじゃないから、そんな必要はない。もちろん大人の話。
 脱皮によって変わるのは心や考え。それは、セミや蝶のように、物の見え方が変わる。
 蛇や蚕は何度も脱皮をする。人は生きていく中で何度も脱皮しなければならない。脱皮しなければ、心の成長が止まってしまうから。それは安定かもしれないが、言い方を変えれば衰退である。

 人生は螺旋階段、丸い丸い螺旋階段。横から見れば、右に行ったり左にいったり。上から見れば、北に進んだり南に進み、東にも西にも進む。太陽に向かって歩いたと思えば、太陽に背を向ける。
 脱皮することは、今までの考え方や物の見方を捨てて、新しい考えを取り入れること。それまで前だと思っていたものが後ろに変わる。正しいと思っていたことが、違う見方に変わってしまう。それは、キャベツだけを食べていた青虫が、花の蜜だけを求めるようになるのに似ている。
 脱皮しないということは、階段を登ることを辞めたことになる。辞めれば上には登れない。じっと留まることができず、ズルズルと降りて、心はかたくなになってしまう。
 登る原動力は好奇心、向上力、仲間への愛。

 女の人は、髪型や化粧、衣装で別人を演じることができる。それは上部にすぎないが、心底からなりきることだってできるのだ。役者のように。
 役になりきるには、その役の考え方や喋り方、歩き方、身のこなし、習慣などまで自分のものにすれば完璧。芋姉ちゃんから脱皮して、貴婦人になれる近道。

 例えば、デビューしたばかりのアイドルがこう言う。
 「原宿を歩いていたら声をかけられたんです」
 それを鵜呑みにしてはいけない。簡単に声をかけられたわけじゃない。スカウトされる女の子が、どういう服装をし、髪型がどんなで、歩き方がどんなかを研究していたはず。目つきの使い方もどのようにすれば、相手が目力を感じるか鏡とにらめっこの毎日を過ごし、休みの日には原宿を歩いて観察していたから声をかけられるのだ。

 まずは、なりたい自分をイメージし、服装や話し方、髪型、歩き方をまねしてみる。毎日、来る日も来る日もそうする。
 自分をよく知り、強みが何か、足りないものをどう補えるかを知る。何よりも自分を信じ、好きになること。

 「私なんて」
 その言葉、誰と比べてそう思ってる?人は誰でも宝石を持っている。磨くか磨かないかの違いだけ。
 賢女になりたければ、心を、その場だけの人気が欲しければ、外見を。世渡り上手とはそういうものかな。