hitoriの卵焼き

砂糖味、塩味、しょうゆ味、不思議な味。あなたはどれが好きかな。

断捨離と雨

断捨離の勧めを称える本をよく見かける。
親しみ馴染んだ物を捨てるのは難しい。

 濡れた者は雨を恐れない。
 裸の者は盗賊を恐れない。

 これはロシアのことわざ。

 失う物がないことほど、怖い物なしになれる。
 何かを欲しいなら、何かを手放さなければならない。これもよく聞く話。
 人間、手は二本。新しい物を手に入れたいなら、どちらかの手を空けなければならない。
 断捨離だね。
 物に執着すると失うことへの不安ばかりがつきまとう。

 家族だって同じだ。子離れしないとね。我が子といえ、一人の人間であり、親とは別の考えや生き方を持っている。親のロボットじゃない。レールの上ばかりを歩かせると、親がいなくなってから困るぞ!

 ニートの強みは失うものがないこと。自由な発想ができる。儲けなんて考えないで、皆が楽しめること、便利になることを見つけやすい。まず、目標や着地点ができる。あとは、たどり着くルート探し。ニートは金をかけない。思いもよらない発想で進んでいく。
 実業家たちがニートを怖がるわけだね。損得勘定で二の脚を踏む実業家は太刀打ちできない。安定を好む実業家、失うものなしのニート。失敗さえも楽しむニートが有利。

 仕事って、働き始めると簡単には変えられないもの。慣れた仕事だと安心できる。でも、しがみついたままでいいのかな。そう感じたら勇気を出して、違う仕事をしてみるのもいい経験。たくさんの経験が点のように残り、それがいつか繋がって線を描き始めるよ。


  私がなかなか捨てられない宝物、それは古い五円玉。穴が開いてない。私が小さいころ、よく見かけた硬貨。そのころは、五十円玉も今より大きくて穴なし。懐かしくて捨てられないんだよね。百円札が消え、穴なし硬貨が見られなくなり、五百円玉が現れ、時の流れは早い。一枚だけ残った私の穴なし五円玉。
 ブラウン管テレビが薄型テレビになり、村に数個しか無かった電話が今は携帯できるようになった。特別の日にしか撮ることのなかった写真も白黒から、自然そのものの色を残すことができるように変わったけど、思い出の中の風景はそのまま。穴なし五円玉は、古びた写真のように私の手の中にある。

 捨てられなくなる原因は、その物に思い出を感じるからかもしれないね。衝動買いをした物や百円均一で買った物は手放すことに抵抗がない。でも、もう手に入らない物だったりすると、いつまでも手元に置いていたい気持ちになる。

 古い考えや習慣も離れにくいものの一つ。縁起担ぎなんてものもある。自分の気持ちが落ち着くなら、辞めなくてもいいんじゃないかな。人間の生活習慣は、そのほとんどが医学も科学もまだないころ、自然と共存するために神々を迎え入れ、喜ばせること、災いから身を守るために生まれたものが多い。行儀作法や言葉使いにまで及ぶ習慣まで断捨離する人はいない。世界中どこにでもあるお守りや魔除け、捨てるにはしのびない。それに、人は死への恐怖があるから、簡単にはできない。
 生きるって、いろんなしがらみと共に時間を過ごすことなんだよ。


 生きることは、泥土の中を這いまわっているようなもの。手も足も泥だらけになって、前に進む。そんな中での雨は、体から泥を洗い流してくれる。晴れてばかりなら、泥がいつまでも体についたまま。生まれた時は何もついていないきれいな体が、生きていると泥だらけ。雨は人に輝きを取り戻させてくれる。
 裸で生まれ、裸で死ぬ。ならば、本当に必要なものは、何だろう。人は一人では生きていけない。多くの物があったとしても、人とのつながりがなければ、暗闇と同じ。本当に大切なものを理解できることが断捨離。