hitoriの卵焼き

砂糖味、塩味、しょうゆ味、不思議な味。あなたはどれが好きかな。

生もの 取り扱い注意

 感情は生もの。私はそう思います。
 昨日、その時に思いついたこと、気持ちを書こうとしたのだけれど、どこに書こうか、どんなふうに書こうかを考えているうちに、一晩過ぎてしまいました。すると、感情がしぼんでしまっているんです。ほんと生ものだなぁって実感しました。
 朝になっていざ書こうとしても、冷めた文章になってしまう。ただの感情だけなら、気持ちが淘汰されて良い面もあります。論文なども時間をかけたほうがうまく出来上がります。しかし、感情を高めて文字に起すとなると、私の弱点である感情の起伏の少なさが裏目にでるのです。

 はて、昨日、私は何を言いたかったのか。
 一つは、私は公募が嫌いだということ。愛情を込めて作り上げた作品の著作権が取られてしまうからです。まるで娘を嫁に出したような気分。心の中にぽっかりとできた穴、嫌でした。
 公募の選考方法にも疑問を感じました。出版社関係なら、売れるかどうかが判断基準。地方になると、中身より外面という印象を受けました。

 イラストを描く息子が言っていることがあります。「公募に出す作品はレベルを下げたものにしている」。聞くところによると、何度も盗作された経験があるそうです。

 私は作品を書くとき、いくらかの不安や恐怖ともとれる感情を覚えます。私は話の中で、悪人を書くことが大の苦手。だから、最初、童話を書いていました。十年かけてようやく悪者が描けるようになりました。それでも、迫力の足りないものだと思えます。小説を書くには、そこに登場させる人物を愛さなければならない。たとえ悪人でも、なぜ悪人になったかを考え、愛する。そこまではできるのに、台詞や行動がわからないんです。映画でも見ればなんて考えますが、汚い言葉、激しい暴力が嫌いなので、見ることが苦痛です。

 そんな私が楽に書き続けることができるのが、「hitori言」。ポロポロとこぼれる言葉、まるで落穂ひろい。これも、思いついたとき、すぐに書き留めておかないと言葉が腐ってしまうんです。不思議ですよね。
 
 あと何を書こうとしてたんだっけ?思い出せない。続きはまた今度にします。